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『クローゼット』についてー

 

 

 日本でも多様性、ダイバーシティーなどという言葉をよく耳にするようになりLGBTQを含む、様々なマイノリティーをとりまく社会の変化を感じます。

 しかし、LGBTQという言葉を知って実際に多様性を尊重しようとしても「その対象となる当事者はどこにいるの?」「同性婚やパートナーシップ制度が話題になっているけど、そんなにニーズあるの?知り合いにいないのだけど…」と思っている方も少なくないのではないでしょうか。

 

『いないのではなく、見えていないだけ』

 情報化社会のおかげでマイノリティー仲間が見つけにくかった時代が終わり、ネットを通じて多くのLGBTQと繋がることができました。職場や自宅のすぐ近くや、取引先にも当事者がいたことに驚きました。それでも、普段の社会生活においては当事者と出会うことができずにいます。日常的に接しているはずですが(セクシャリティーは言わない限りわかりようがないので)アンテナを張っている当事者の私でさえ「そんなに周りにいる印象がない」と感じます。当事者でなければもっとその印象は強いのではないでしょうか。実際、私のセクシャリティを明かしていないシスヘテロ(と思われる)友人に、何かの話の流れで「周りでLGBTの人いる?」と聞かれて、あたふたした経験があります。「あなたが今話してる人がその”LGBTQの人”だよ。知り合いは沢山いるよ」と言いたいけれど、言えませんでした。

 実際にはいるのに、セクシャリティーをオープンに生活している人が多くないために存在が見え辛いのです。セクシャリティーを隠している人たちがオープンにすれば、LGBTQの存在も日常的に出会う身近な人たちになる筈なのですが、現状はそうではありません。

 

自身のセクシャリティを第三者に隠している人たちのことをクローゼットといいます。

 

 当事者ですら「周りにいない」と感じてしまうような環境においてカミングアウトすることはリスクを感じてしまいます。それぞれの環境や事情があるので”勇気”があれば解決する問題でもありません。

 

 「私は特に何とも思わないけれど、日本ってそんなに差別や偏見はあるの?」と言われることがあります。

確かに、日本では、ひどい迫害を感じたり、ニュースとして目に触れる機会は少ないにしても、当事者が「言えない」と感じて隠しているということは、何かしらの差別や偏見を恐れていたり、スティグマを感じているからだと思います。マジョリティの多くにとっては「周りにいないし、よくわからない、知らないだけ」なのかもしれません。私自身、セクシュアリティに関する部分ではマイノリティではあるけれど、その他の多くはマジョリティ属性で構成されていているため、自分の属性以外のマイノリティについては偏見を持っていたり無自覚に差別している可能性があります。”よく知らないもの”に対して生まれる偏見は、この「周りにいるように見えない→言えない」のループが続く限り、なかなかなくなりません。

クローゼットという人達がいることを可視化していくこと。

 メディアでLGBT当事者の姿を見る機会が増えてきました。顔を隠すこともなく実名で取材を受けていらっしゃる方もいて、時代が変わったことを感じます。でも、メディアに登場する人はごく一部でしかありません。「最近LGBTのひと、増えてきたよね」と言われると残念です。”最近”当事者が増えたわけではないだろうと思います(LGBTという言葉やその情報のおかげでそれまで無自覚だった自身のセクシャリティーを自覚することはあるとは思いますが…)。確かに昔と比べれば、セクシャリティーを隠すことなく生活されている人も増えてきましたし、カミングアウトのハードルが下がってきたように感じますが、それでもまだ言えずにいる人は少なくありません。

 LGBTQの存在の可視化の方法は、カミングアウトだけでなく”クローゼットという存在”を知らせていくことも方法のひとつです。クローゼットの可視化が「自分の周りのカミングアウトできずにいるひと」の可能性を考えてもらうことに繋がればと思います。

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